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ネルソン・マンデラ氏の死で思う。


ネルソン・マンデラ氏は、南アフリカのアパルトヘイト・人種隔離政策に真っ向から立ち向かい、それの撤廃を求める激しい闘争の中で27年間に渡って投獄さながらも闘い続け、1990年に釈放後、1993年ノーベル平和賞を受賞し1994年には同国初の黒人大統領となった、誰もが知る世界的人物である。
人類史上、国家にこれほどの影響を与え、世界に勇気を与えた人間はいないのではないだろうか。

その氏が、先週木曜日、95歳で亡くなった。

悲しい・・・・・・・

私自身、多くの影響をうけた。

壁にぶちあたったり。
あきらめかけたり。
腐ってみたり。

そんな時に氏の言葉を思い出す。

「生きるうえで最も偉大な栄光は、決して転ばないことにあるのではない。転ぶたびに起き上がり続けることにある」 「勇者とは怖れを知らない人間ではなく、怖れを克服する人間のことなのだ」 「達成するまでそれは不可能に見える」

氏から、発せられた言葉だけに「重み」がまったく違う。

そして、
「勇気とは、恐れを知らないことではなく、それを克服することだと学びました。勇敢な人とは恐怖を感じない人ではなく、恐怖を乗り越える人なのです。」

勇気を与えられ、そして、本当に少しづつではあるが、強くなれた。
心が折れる寸前で立ち上がれた。


『インビクタス/負けざる者たち』という映画があった
私の大好きなラグビーが題材の実話である。

当時南アフリカでは、ラグビーは白人もしくはある程度の地位を獲得した富裕層の行なうスポーツであるという印象が強く、ラグビーはルールが複雑であり、教育水準の低い貧困層の多い黒人の間では受け入れられていなかった。
そのようなことから、アパルトヘイトの象徴として、多数を占める黒人の国民のあいだでは不人気なスポーツだった。

南アフリカラグビー代表のユニフォームは金と緑を基調としており、通称はスプリングボクスと呼ばれていたが、マンデラ政権誕生と代表チームの国際テストマッチでの連敗を機会に、黒人代表者たちがスポーツ協会での会議で、「チームカラーと愛称はアパルトヘイトの象徴である」との認識による変更を全会一致で決定する。
そのときマンデラが登場し、「今まで我々は白人たちに脅かされた。しかし我々は白人たちを協力する寛容の心で迎えるのだ」と会議参加者との意見の差異あるスピーチを行い、変更を阻止した。

その後、スプリングボクスの選手達がマンデラの意向で貧困地区の黒人の子どもたちにラグビーの指導を行ったりといった地道な活動を続け、国民のあいだでチームの人気が少しずつ高まり、自分たちの存在が国内のみならず世界的に注目されていることを知るに至った。

そして自国開催の1995年ラグビーワールドカップにおいて予想外の快進撃を見せ、ついに決勝進出を果たす。新生南アフリカの象徴として見られるようになったスプリングボクスは、全南アフリカ国民が見守る中、強豪ニュージーランド代表オールブラックスとの決勝戦に臨む…。
(一部、wikipediaから転記)

といった内容である。

私見であるが
差別や偏見とは、マイノリティを否定することで、自らがマジョリティと同化し安心を求めることであると考えている。
要するに、人間としての弱さがそれらを生み出す。

でも、俯瞰してみれば。
結局、その行為自体もマイノリティとなることに気づくことで差別や偏見がなくなっていく。

氏曰く
「自分がどれほどその習慣に誇りを持っていようと、自分自身の習慣に照らして他者を断罪する権利は一切ないと思うようになった」

深い・・・・・・・・。

どこまでいってもマイノリティとマジョリティは存在するであろう
人間も、弱さは常に持ち合わせていくのであろう

氏の教えを肝にめいじながら
本当に微力ながら、氏が目指した世界の実現へ努力したいと強く感じた。




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