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今年の夏を終えて。

今年も夏が終わった。

かれこれ18年間
ずっと、「まつり」と共に私の夏は過ぎ去って行く。

今年は、沖縄市豊中市兄弟都市締結40周年ということもあり
いつもの二日間が三日間となった。

特に初日の「道ジュネー」は感慨深いものがあった。
17年前、沖縄市の中の町で初めて「道ジュネー」と出会った。
私は、「道ジュネー」の歴史的背景や文化等、まったく知らない
何をして、このやんちゃな若者がひたすら太鼓を打ち、踊り続けるのであろうか・・・・

ただ、ただ、その時に心に刻まれた魂の揺さぶり
それは、喜怒哀楽が混在したものであった。

豊中でやってみたい。
様々な人の魂が揺さぶられ、何かが始まる予感がする。

それから17年。
やっと、実現した。

何故かわからないが「涙」が止まらなかった。
多くの方にも参加いただけた。
形や色は違っても、何かを魂に刻み込めたはずである。

そんな夏をすぎて・・・・・・・

ぼちぼち、私の役割も終焉を迎えてきたように感じる。
体力的なものもあるのは事実であるが

今年は、沖縄市、豊中市その双方で大事な同志が天へと召された
二人とも歳は下なのだが、いつも何処かで頼っていた。

大変、寂しい・・・・・・・・

人間とは、弱いもであり
いつも意地と見栄と負けん気でバランスをとっているものだと考えている。
そのバランスがどうやらおかしくなってきた。

中でも、今までは、許容できたものが出来ない。

こうなると、人間は独裁に走る。
俯瞰力が無くなり、自分の考えがマジョリティであるように押さえつける。
結果、本来のマジョリティだけでなく他のマイノリティな意見までもが反映されなくなっていく。

刹那

結果は・・・・目に見えて明らかである。

秋にむけて、もうひと頑張りなのであるが
「まつり」たるもの
次なるステージへの階段をのぼる為には、何が必要かを考えて行きたいと強く思う。


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「福祉住環境サミット」へもう一踏ん張り

福祉住環境の世界に身を置いて30年。

学生の頃は、まさか自分がそんな仕事をするなんて思ってもみなかった。
学部は法学部法律学科。(とは言え、法律の勉強をした記憶はありませんが。)
それが、ひょんなことから・・・
専門職になるために、一級建築士の資格も取って・・・・・

最初のころは、
「珍しいことやってるな。」
「もっと、効率的なことがあるやろ。」とか・・・・・・

途中からは、
「先進的なことやっているね。」

私のやってること。
私の信念。
私のポリシー。

多少の形は変わったとしても
絶対にここ30年ぶれてない

「世のため人のため」などという高貴は思いでは無く
只ただ、「自分のため、家族のため」
そのためにには、回り全体が「生きる」ことを楽しまなけりゃ。
その為に、私は専門職として頑張るのです。

そんな私も54歳
53歳で引退するなんてことを豪語していたのですが、それもかなわず。

でも、30年振り返ってみると
自分や家族が「生きる」ことを楽しんできたのかな?
ってな疑問を持ったりする訳なのですよ。

「福祉住環境サミット」

これ、私的には私の集大成の事業でもあり、新たな

誰もが、歳を重ねることに不安を持つ
誰もが、死を現実のものとして認識する
そして、様々なステージで役を終えていく

結果

人生の終演を前に、自分の可能性をあきらめているのではないだろうか?
自分が自分であるための意味や意義は、命ある限り続いていくのですよ!

私は、あきらめたくない 私は、もがきたい
マイナスも認識しながら
プラスを目標に最後まで生きていきたいと強く、強く思うのです。

その気持ちが強ければ、強いほど
日本は活気に満ちあふれる

「福祉」はセーフティーネットの為だけに存在する言葉では無い
もっと豊かに、もっと自分らしく生きる為のものでもある

そんな原点に立ち戻り

福祉住環境のプロフェッショナルとして
「福祉住環境サミット」なるものを作り上げたいと・・・・
この場で、多くの人に「歳を重ねることが、楽しみになった。」と言わせてみたい!!
その為のあらゆる環境が、「福祉住環境」だと!!

もう一踏ん張り!

誰のため?
もちろん、自分が歳を重ねても「自分らしく」生きるためですよ。(笑)
ここは、絶対にぶれない。







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ネルソン・マンデラ氏の死で思う。


ネルソン・マンデラ氏は、南アフリカのアパルトヘイト・人種隔離政策に真っ向から立ち向かい、それの撤廃を求める激しい闘争の中で27年間に渡って投獄さながらも闘い続け、1990年に釈放後、1993年ノーベル平和賞を受賞し1994年には同国初の黒人大統領となった、誰もが知る世界的人物である。
人類史上、国家にこれほどの影響を与え、世界に勇気を与えた人間はいないのではないだろうか。

その氏が、先週木曜日、95歳で亡くなった。

悲しい・・・・・・・

私自身、多くの影響をうけた。

壁にぶちあたったり。
あきらめかけたり。
腐ってみたり。

そんな時に氏の言葉を思い出す。

「生きるうえで最も偉大な栄光は、決して転ばないことにあるのではない。転ぶたびに起き上がり続けることにある」 「勇者とは怖れを知らない人間ではなく、怖れを克服する人間のことなのだ」 「達成するまでそれは不可能に見える」

氏から、発せられた言葉だけに「重み」がまったく違う。

そして、
「勇気とは、恐れを知らないことではなく、それを克服することだと学びました。勇敢な人とは恐怖を感じない人ではなく、恐怖を乗り越える人なのです。」

勇気を与えられ、そして、本当に少しづつではあるが、強くなれた。
心が折れる寸前で立ち上がれた。


『インビクタス/負けざる者たち』という映画があった
私の大好きなラグビーが題材の実話である。

当時南アフリカでは、ラグビーは白人もしくはある程度の地位を獲得した富裕層の行なうスポーツであるという印象が強く、ラグビーはルールが複雑であり、教育水準の低い貧困層の多い黒人の間では受け入れられていなかった。
そのようなことから、アパルトヘイトの象徴として、多数を占める黒人の国民のあいだでは不人気なスポーツだった。

南アフリカラグビー代表のユニフォームは金と緑を基調としており、通称はスプリングボクスと呼ばれていたが、マンデラ政権誕生と代表チームの国際テストマッチでの連敗を機会に、黒人代表者たちがスポーツ協会での会議で、「チームカラーと愛称はアパルトヘイトの象徴である」との認識による変更を全会一致で決定する。
そのときマンデラが登場し、「今まで我々は白人たちに脅かされた。しかし我々は白人たちを協力する寛容の心で迎えるのだ」と会議参加者との意見の差異あるスピーチを行い、変更を阻止した。

その後、スプリングボクスの選手達がマンデラの意向で貧困地区の黒人の子どもたちにラグビーの指導を行ったりといった地道な活動を続け、国民のあいだでチームの人気が少しずつ高まり、自分たちの存在が国内のみならず世界的に注目されていることを知るに至った。

そして自国開催の1995年ラグビーワールドカップにおいて予想外の快進撃を見せ、ついに決勝進出を果たす。新生南アフリカの象徴として見られるようになったスプリングボクスは、全南アフリカ国民が見守る中、強豪ニュージーランド代表オールブラックスとの決勝戦に臨む…。
(一部、wikipediaから転記)

といった内容である。

私見であるが
差別や偏見とは、マイノリティを否定することで、自らがマジョリティと同化し安心を求めることであると考えている。
要するに、人間としての弱さがそれらを生み出す。

でも、俯瞰してみれば。
結局、その行為自体もマイノリティとなることに気づくことで差別や偏見がなくなっていく。

氏曰く
「自分がどれほどその習慣に誇りを持っていようと、自分自身の習慣に照らして他者を断罪する権利は一切ないと思うようになった」

深い・・・・・・・・。

どこまでいってもマイノリティとマジョリティは存在するであろう
人間も、弱さは常に持ち合わせていくのであろう

氏の教えを肝にめいじながら
本当に微力ながら、氏が目指した世界の実現へ努力したいと強く感じた。




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さてさて、本日も「余市」まで行きつくことができますろうか

12月の声を聞くと
何かと、気ぜわしくなってくる。
それと同時に、「酒」なるものとの接点が増えてもくる。
(まあ、この時期でなくても常に一緒にいるようなものでありますが(笑))

私の場合、自分が「好む酒」なるものが、結構入れ替わる。

年初には、イタリアワインにはまり
そのワインにあう、イタリア料理をつくることにはまり

夏場には、高知は安芸の安芸虎「素」という自然発酵の濁り酒にどっぷりと
でもって、これを飲むための「切子」のぐい飲みを探しまわり
この酒には、「煮物」があうと思い込み、この料理を極めようと和食の店を歩き回った。

ただ、一年を通じて
やはり、最後に飲む「酒」はウイスキー・・・・・
中でも、シングルモルト
ピュアモルト(原料がモルトのみ)の中でも単一の蒸溜所でつくられたモルトウイスキー100%のもの。

これが、いい!

シングルモルトは蒸留所のある地名がそのまま商品名になっていることが多く
スコットランドのアイラ (Islay) 、アイランズ (Islands) 、キャンベルタウン (Campbeltown) 、ロウランド (Lowlands) 等、それぞれの地域で製法や香りなどに色があり有名なのです。

でも、私はニッカの「余市」が定番なのです。
シングルモルトを好む人にとっては、少し感覚が違うかもしれないのですが

そこそこしか、主張しない個性というか、味といううか
雪のなかで熟成されてきた、地域そのものという感じなのです。

だから


・・・・・一日の最後に、振り返って飲む酒には
・・・・・・・・・・ぴったりなのです。

楽しく、嬉しい時の酒
辛く、寂しい時の酒
何かに怒りを覚えた時の酒
真剣に議論を闘わせる時の酒

ではなく。

何も考えず、一日の終わりを噛みしめる時の酒として・・・
ええ感じや!!!

さてさて、本日も「余市」まで行きつくことができますろうか(笑)
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「福祉住環境サミット」への想い

24歳の時、あるきっかけで「福祉住環境」(その頃は、こんな言葉すら無かったですが。)に出会い。
天命を感じ、この世界に身を投じようと決めた。

あれから30年の月日が流れる。。。。。

果たして、自分はこの世界のプロフェッショナルとなり得たのか?
確かに、多くの案件とは出会い、失敗し、学び、成長してきた。

当初は、参考となるものもあまり無く
参考とできる事例も多くなかった

その中で、自分の経験値から導きだした考えを
様々な職種の皆さんとのディスカッションを経て、精度を高めてきた。

今、それが試される時にきているのではないだろうか・・・・と感じるのです。

社会で「福祉住環境」という言葉が一人歩きしだし
それは、狭義の「福祉」の中での住環境の分野と解釈されていることが多い
「福祉」なるもの、本来は「豊かさ」「自分らしさ」とかそういったもので有るべきで、そのベースとしてセーフティーネット的な「福祉施策」他、なるものがあるのが正しいと思う訳です。

治療的な世界だけでの住環境ではなく、人間としてより自分らしく生きうるための住環境、そのベースとしての治療的住環境。

でなけりゃ、将来は確実に福祉課題が増えますよね。
自分は嫌なのです。
歳を重ねる事が、楽しくないのは・・・・・・

しかし、今も昔も・・・・
ここを繋ぐことが難しいのです。

機能的に補填される以上に対象者の住環境を向上する提案は、対象者が決める以前に否定されるケースも少なくはないのです。
ハードとソフトの融合と言われながら、ソフトの中のルールでハードを利用するだけといったケースも、その逆もあるんですよね。

でもね、今の日本。
捨てたものじゃない。。。
全国には、「福祉住環境」=「自分らしく生き続けるための住環境」
と考え、そんな垣根をとっぱらって動いている団体や個人が沢山いるのです。

まさしく、私の想いとシンクロする。

そんな「考え」、「想い」、「理論」・・・・・・・・
一人でも多くの人たちと共有することから始める。
その場をつくる事が、まず自分のやるべきことだと強く思うのです。

でもって、
第一回「福祉住環境サミット」の開催なんです。
http://www.u-bappu.jp/index.php/2013/11/5339.html

沢山の皆さんとこの二日間で日本の未来に向けての指標を共有できることが出来ますように。
ぜひ皆様のご参加、お待ちしています。
*福祉住環境サミットチラシ表.jpg
*福祉住環境サミットチラシ裏面.jpg
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福祉住環境の世界に身を置く者として「感動」するのであります。

数日前に新聞広告で「ベッドの横に設置できるトイレ」と名をうったTOTOの新しい商品が提案されていた。今度のHCRに出展されるそうである。

「排泄の自立が人間最大の尊厳」という観点に基づき、要介護者の精神的負担の軽減を実現させること、介護者・要介護者双方の肉体的負担を軽減し、介護の質を向上させること、転倒リスクを減らすことなどを目的として開発されたらしい。

私はTOTOのまわしものではないのだが、商品自体には今後改良も必要なこともでてくるとは思うのだが、この開発目的が素晴らしい。
そもそも、持論ではあるが
人間が生きていくために絶対に必要なものの内「だべることは陽・だすことは陰」であると思う訳であります。
食事の介護は、年齢に関わらず体調の悪いとき、ケガをしたとき等でも受け入れることは出来るのですが、排泄に関しては、なかなか難しい。
それは介護する側もそうだと思うのです。

必要であるとわかっていながらでも、従来の家の間取りは、トイレは「どこかに空いたスペースに」との考えで、階段下にあったり、スペースも最小限であったりするわけで
ダイニングキッチンや」浴室とは、扱いが全く違ってきました。

「汚い」・「はずかしい」・「臭い」

この三つが「陰」へとおしやったのです。

しかし、「陰」であるが結えに
この部分が自立出来なくなった時のQOL低下は、おしてしるべし。

ここに、昔から着眼して事業展開をしてきたTOTOという会社
おかげで、世界で一番のトイレ環境が日本には出来上がった。

便器一つにしても、追随してきているメーカーはあるのだが
コンセプトが、「洗わなくてもいい」・「施工性がいい」・「安価」等々でこれでは、言い換えれば昔のトイレの考え方を払拭することには繋がらない。
ようするに、建築よりの考えなのである。

確かに、ビジネスで考えれば建築や健康な方よりの価値観での開発もとは思うのだが

それよりも、人間としての考えで事業を展開している。
そして、望まれるものより「ひとつ上」を目指そうとする

そんな、ところに私は福祉住環境の世界に身を置く者として「感動」するのであります。

様々なご意見、あろうかと思いますが。

あくまでも「持論」ですので、ご容赦お願い致します。



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「あなた」へ。。。。

28年前の桜が丁度、満開になったころあなたを、授かりました。

学生のころから、絶対に女の子が生まれたら「未来」と書いて「みく」と読む名をつけようと心に決めていたのですが、生まれた我が子を見ると何故か迷い。。。。

それでも、出生届を出す寸前に、どうしても「未来」にしたく独断で変えた時のことを昨日のように覚えているのです。
私が存在しないであろう未来に生きることになるあなたが、いつまでも幸せであるようにとの願い。
まあ、この頃から今の子離れできない自分がいたんですが(笑)

生まれてから間もなく、お母さんが長男を身ごもり切迫早産の危険性が高まり、入退院を繰り返し
その間、あなたをおぶって、仕事をしたんですよ。
多分、覚えていないと思うけど。
ピッコロのリュックを背負って、二人で宝塚ファミリーランドにも行きましたよ。
夜泣きもひどく、だっこして座ると泣き出すので、夜通し立ちながら過ごしたこともありました。

成長していくにつれて、周りからは「しっかりもの」なんて言われて、高校の卒業式は答辞もよんたけど
本当は、人一倍の心配性で、でも負けず嫌いで、実は弱いところも一杯あって
父は、わかっていましたよ。

体も、もう一つ強くなく
それが、今でも一番の心配ごとです。

一番の思い出は・・・・・
何か、いっぱい有りすぎて・・・・・

厳しく、怒りっぽい、取っつきにくい父だったと思いますが
お酒も飲まないのに、晩酌の時につきあってくれたり
一緒に出かけることを嫌がることも無く
私にとっては、最高の娘でした。

明日、あなたは嫁いでいきます。

心から「幸せになって欲しい。」そう願うのです。

もう私が幸せにしてやることは、出来なくなるのです。
願うことしか出来なくなるのです。

いろいろな事が、これから一杯あると思います。
今度は、二人で幸せになると決めたのですから、その気持ちをいつまでも持ち続けて欲しいのです。

私は、夫婦というものは、親が子に対しての愛のように、互いに、全てを許し合い、認め合い、包み込むことは出来ないものだと思います。
違った数十年の人生を歩んできているのですから

その二人の何かがシンクロして「二人で人生を歩む」ことを決めたのですから。
だから、そのことを成し遂げる「覚悟」をし
そして、互いに「努力」することが大事だと思うんです。

頑張れ!!

最後に我が家族のテーマソング「手と手を」から

「平穏な毎日の中にも、時々面白い事があるさ
 こぼれ落ちた笑顔を集めて、それを幸せと呼ぼう
 ありふれた暮らしの中にも、たまには悲しい事が起るさ
 こぼれ落ちた涙を数えて、それも幸せと呼ぼう
 寂しさが込上げて やけに切なくなって
 うまく笑えないなら
 すぐに会いに行くよ 全部輔放り出して 君の元へ」

どうしても、どうしても 笑えなくなったら、戻ってきてもええねんで。

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「いちゃりばちょーでー」

今年も、あいつが怒涛の如く現れ、そして嵐のように私の前から去って行った。
17回目のことだ…
来年には、あいつ、高校を卒業する歳になる。
そろそろ「もうちょっと、大人になれよ!」何て思ったりするのだが…

こいつが、一向に大人にならず
ますます、熱さを高め、想いを深め、友情なんて青ぽいものを強くする。
そうか、こいつは青春の真っ只中にいるのだ!
たちの悪いことに、そこに関わる全てを引き込む力を持っている。(笑)

青春と言えば
友と飲み交わす酒

そう、漏れなくついてくる

新しい出会いで飲む酒…
再会を祝して飲む酒…
喜びや、悲しみを分かち合う酒…

そんな中で
いつもの仲間と飲む酒がここには、ある。

住むところは、遠く離れてはいるが
40年前に兄弟の契りを交わした仲間、いや兄弟である。

今年は、本当に沢山の兄弟と酒を飲み交わすことができた。
余裕無く、走り回っている時も
兄弟の顔を見ると何故か、安らぐのである。

何の打算も無い。
いや、何の意味もないのかもしれない。

だから、この時間がとても、とても大事なのである。

「いちゃりばちょーでー」

今年もあいつは、新しい兄弟を私につくり。
そして、多くの兄弟との素晴らしい時間をもたらしてくれた。

多少の疲労感と共に。(笑)

豊中まつりよありがとう。
コザの皆様、本当にありがとうございます。









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安心した状況では、本来の安心は生まれない

今年も「豊中まつり」が終了いたしました。
市民主体のまつりへとリニューアルされてから17年目、本当に多くの人に支えられ、愛されている市民フェスであると、またもや再認識さされました。

世代を超えて、来場されている皆さん、ボランティアとして関わっていただいている皆さん、そして行政、出店者、出演者・・・・・
毎年、そこには大きな笑顔があり

その笑顔をみると、自らも充実感が湧き出してくる
この笑顔が増え続けると、豊中のまちって素敵なまちになると思える

そして、この笑顔を守らなければとの強い決意のようなものも・・・・・

17年もやってると、何でも知っていると思われがちなのだけど

でも実は結構、一杯いっぱいな訳で
でも実は結構、不安を抱えている訳で

それは、みんな一緒だったりして

でも、これが大事だと思うんですよね
私は、安心した状況では、本来の安心は生まれないと自負しているのです。
常に課題を持つということは、不安で不安であれば、一杯いっぱいの努力をするのです。

そら多少のミスや思い違いは、いつだってあるのですよ。
でも大きなベクトルを共有しているもの同士にとって、それはカバーしあうことが大事で
私の役割はそのベクトルを共有してもらうということだと考えています。

それが、チーム「豊中まつり」

さてさて、今年もチーム「豊中まつり」として、動けたのでしょうか?

今年も、次年度へむけての調整がはじまるのです。。。。。。

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改めて思う「福祉住環境」

ながらくブログをアップしていなかった。
といううか、ブログの存在自体が私の頭から消去されていたといっても過言では無かったのです。

実は、この4月から「ワクワク」・「ドキドキ」するような事業が複数進みつつあるのです。
53才引退説など、どこ吹く風かとばかりに。(笑)

しかも・・・・・・


豊中まつりも間近に迫って参りまして・・・・・・


まあ、どんな事業なのかは、おいおいブログでアップして行くとしまして

実は数日前に、狭心症と思われる症状でぶっ倒れた訳なのです。
いや、本当に死ぬかなと思ってしまいまして

そんなこんなで、「自分にとっての一義的なものとは何か?」
なんてことを考えたりしてしまったのです。
となると、やっぱり福祉住環境と言われる世界かなと・・・・

本当に、ここ10年ほどの間に
「福祉住環境」といった言葉があちらこちらで聞かれるようになって
本当に大昔から関わってきた私にとっては、とてもとても違和感があるのです。

そもそも「福祉」とは
公的配慮によって社会の成員が等しく受けることのできる安定した生活環境。(デジタル大辞泉)
であり、生活上なんらかの支援や介助を必要とする人、経済的困窮者・ホームレスなどに対し、生活の質を維持・向上させるためのサービスを社会的に提供すること、あるいはそのための制度や設備を整備することが「社会福祉」たる意味であるとされている。

しかし「福祉住環境」で表現される「福祉」とは
「しあわせ」や「ゆたかさ」を意味すると強く思う訳で、あらゆる全ての人の生き方の質を向上させる、まさしくQOLをの向上に他ならないと、私は確信しているのです。

あちらこちらで。QOLやらICFやらと叫ばれてはおりますが

現場では、なんのなんの
まだまだ・・・・・・・・・

特に、一番の疑問は
疾病や事故で何らかの障害を持ちました
そのマイナス部分を補うことで、なんとか以前の生活を取り戻すといった、ICIDH的な考えが福祉住環境の世界には多く残っているのです。
障害の部分だけを見た福祉住環境ではマイナス10がマイナス3にはなれてもプラスには絶対なれないわけで、そこにはこれからの人生の中で「しあわせ」や「ゆたかさ」を求めることが出来ない状況をつくりだしているに他ならないと思うのです。

すなわち「福祉住環境」では無いのです。

もちろんマイナス3で「しあわせ」や「ゆたかさ」を感じる方も沢山いるでしょう。
しかし、福祉住環境のプロフェッショナルとして関わる以上は、そこで価値観をシンクロさせるのは「逃げ」だと思うんですよね。


確かにその部分は0にはなれずとも、他の部分でプラス要素を向上させることで全体でみれば障害を持つ前の時よりも「しあわせ」や「ゆたかさ」が向上する。これこそが「福祉住環境」の持つ最大の意味だのです。そこに、空間とか、インテリアとか、光とか、カラーとか、素材とか・・・・建築士としての力量が発揮できるのです。(もちろん、それだけでも無いのですが)

それって、「ICF」の考え方。
福祉の世界では当たり前。

そう言ってのける方もおられるかもしれませんが

理論先行でその理論は現場では、まだまだ咀嚼されていないことを理解すると共に
人間の本質的なものが、プラスでなくマイナスに目をむけてしまい、そこに「大変やなぁ〜」という感情がはいる。そうなれば、なかなかプラス要素の話がしづらい事も十二分に理解しつつ考えていかねばならないと、強く思うのです。



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